Selan公式Note記事より
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事に引き続きお迎えシスターで実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリーをご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは ”東京のインターナショナルスクールと公立校での経験”です!
現在早稲田大学文化構想学部国際日本文化論プログラム(JCulP )に在籍し、韓国籍を持ちながらも東京で生まれ育ち、幼稚園から高校生まで国内インターナショナルスクールに通われていた Selanで働くJeong先生にお話を伺いました!(写真左がJeong先生)
バックグラウンドを教えてください!
国籍は韓国ですが、ずっと東京で生まれ育ちました 。
なので、日本語、英語以外には韓国語も少し話せます!
その後、幼稚園 から小2までは東京YMCAインターナショナルスクール (TYIS) に通い、小3から高校卒業までChristian Academy in Japan (CAJ) というインターナショナルスクールに通っていました。
しかし日本語をしっかり学びたい という気持ちから、中学生の2年間は東京にある公立中学校 に通いました。
東京のインターナショナルスクールでの生活はどんなものでしたか?
高校生まで通っていたCAJは他のインターナショナルスクールと比較すると全校生徒数が400人程で小規模でした。
おかげで生徒同士の距離も非常に近く 、大学受験や課題などお互いサポートし合えましたね。
生徒の国籍はアメリカ人をメインに日本人の帰国子女、外国人の親を持つ人、韓国人など様々いました。
特に日本の学校と異なる点として個人的に感じたのは部活動のシステム です。
CAJはアメリカ教育をベースとしているのですが、日本のように3年間OO部に属す、というスタイルではなくスポーツであればシーズンごとに種目が変わりました 。
例えば、秋はテニス、冬はバスケ、春はサッカー、など季節によって参加できるスポーツアクティビティの種目が変わるのです。
文科系のアクティビティについては、日本の学校のように吹奏楽部など部活があるわけではなく吹奏楽やジャズの授業があるためその授業を単位として取ることでいわゆる日本で言う部活動のようなものになっていました 。
私自身はサックスを長年やっており、ジャズの授業などを取っていましたね!
また、私は東京の公立中学校に2年間通っていた際にサッカー部に所属していたのですが、規律や上下関係がとても厳しく学んだことももちろん多かったのですが、苦労したことは今でもよく記憶しています。
インターナショナルスクールではそのような学年による上下関係などがない ので、日本の部活のような厳格さはなかったです。
日本語はどのように習得したのでしょうか?
やはり日本に住んでいるという環境上、学校から1歩出ると全て日本語の世界なので常に日本語を話す機会がありました 。
また、両親と話すときも日本語を使っており、幼少期には公文で日本語を勉強したり 、1年-6年生までは少年剣道 を習っていたり、サックスのレッスンも日本語 で受けていました。
当時は習い事などは特に親に”やらされていた” と思っていましたが、今考えると”やらせてもらっていた” と思えます。
そして、特に中学生の2年間を公立中学校で過ごしたのは自分の日本語力向上に非常に効果的だったと思っています。
言語面だけでなく日本の文化・道徳 について学ぶことができたので大変なこともありましたが、本当に今では経験できてよかったと思っています。
お迎えシスターではどんな想いで英語を教えていますか?
高校3年時にお世話になった英語の先生のおかげで勉強嫌いだった私が学ぶことに対して積極的になれたという経験があります。
非常に生徒の目線に寄り添ってくれる先生で、いつか自分もそんな先生になりたい と思っていました。
そこで教育系のアルバイトを探していたのですが、お迎えシスターが掲げているコンセプト「子どもたちに、ロールモデルを。」 にとても共感し、是非先生をやってみたいと思いました。
私自身のモットーとして、レッスン時に心掛けていることはLearning by teaching です。
これまで先生として子どもと触れ合い、逆に私が本当に多くのことを学ぶ機会を与えてもらっていると感じています。
子どもたちに教えながら自分も子供たちと学んでいく 。ということを大事にしています。
将来は大学院に進み、世界の国際教育に学びながらインターナショナルスクールの先生の資格を取りたい と思っています!
【ハワイ島にある小中学校で日本文化を英語で教えるJeong先生】
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さて、今回の「両方通った東京の「インターナショナルスクール」と「公立学校」。それぞれで学んだこととは?」、いかがだったでしょうか。
次回も引き続きお迎えシスターで働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
お楽しみに☺Selan公式Note記事より
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事に引き続きお迎えシスターで実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリーをご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは ”言語教育者になる夢のきっかけになった幼少期の南米での経験とは?”です!
現在国際基督教大学に通っており、日本で育ち、小学生の時アメリカと南アメリカを転々とされたSelanで働くLilac先生にお話を伺いました!
バックグラウンドを教えてください!
幼稚園は東京の区立、小中学は箱根の公立校で、高校、大学と私立に通っています。
教育はほとんど日本で受けていますが、父がアメリカ人のため小学校の夏休みと春休みは祖父母に会うためにアメリカに帰ると2、3週間現地の学校に短期で通っていました。
また、父の仕事の関係で小学4年の夏から1年間は日本を離れてアメリカを拠点とし、南アメリカの国を転々としていました 。
その為その1年間は毎年夏に通っていた現地の学校に行ったり、アメリカにいない時はホームスクーリング で学んでいました。
アメリカを拠点に、南アメリカを転々としていたとのことですが、現地の学校ではどんな経験をしましたか?
アメリカの現地校は普通の公立校だったのですが、日本の学校とはまるで雰囲気が違い 、非常に興味深かったです。
アメリカの現地校ではおやつの時間があったり、みんなピアスをしていたり髪をいろんな色に染めたりしていてとっても自由な雰囲気 でした!
そんな2つの文化に触れて育った私には、日本の学校の厳しい校則などが理解できず、先生に直接校則について異議を唱えたこともありました(笑)
そして、アメリカの現地校では様々な人種、異なるバックグラウンドを持つ生徒 が多くいました。
私は日本に住んでいると、”ハーフ” という見られ方をされることが常にありましたが、アメリカではそのようなこともなかったです。
また、現地校を経験して、色んな文化に触れることで、自分の中の好奇心を追求すること を学びました!
ホームスクーリングも経験したということですが、どんな内容だったのでしょう?
父の仕事の都合で小学校4年生から5年生までアメリカに1年間移住したのですが、その間アメリカを拠点として南アメリカを転々としていました。
その期間は定住をしておらず、クルーズ船に乗って南アメリカの国々を移動していたときもあったためホームスクーリングを通して勉強 していました。
日本学校の教科書の勉強は母に教わりながら、アメリカの現地校のワークブックは父に教えてもらいながら進めました。
時には車の中、ホテルの部屋などでも時間を決めて勉強していました。
クルーズ船には1カ月ほど乗っていたのですが、環境を活かしてイカの解剖などもやりました(笑)
クルーズ船には世界中から子供たちが集まってくるので、たくさんの友人ができましたし、今でも大切な思い出となっています。
幼少期から日本語、英語両方を使って生活されている中でバイリンガルとして意識して努力していたことはありますか?
父が日本語が話せなかったこともあり、家では英語を使っていたため、特に努力をした記憶はなく自然なインプットだったと思います。
英語と日本語の切り替えには少し苦労したことはありましたが、辛いと思ったことはありませんでした!
しかし、日本で教育を受けていたため、家では全く日本語でテレビは見ず、ディズニーチャンネルなどで常に英語をインプット していました!
お迎えシスターではどんな想いで英語を教えていますか?
現在大学で言語教育をメジャーで学んでおり、学んだ理論をお迎えシスターの先生をしながら実践しています。
本当に子どもが大好きなので、多くの子どもに色んな世界を見せたい という想いが強くあります。
また、小学生の時に南アメリカを転々とした際、スラム街の子どもたちと出会い、多くのことを考えさせられました 。
それ以来私の夢は発展途上国での言語教育に携わること です。
教育系の企業、NGOなどで言語教育のコンテンツ作成をやりたいと思っています。
教育はアイデンティティ形成に大きく影響しますが、そのためには良い教育に出会わなければなりません。
色んな子どもたちが大きな夢を見てほしい 、そんな想いでお迎えシスターの先生をやっています!
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さて、今回の「言語教育者になる夢のきっかけになった幼少期の南米での経験とは?」、いかがだったでしょうか。
次回も引き続きお迎えシスターで働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
お楽しみに☺Selan公式Note記事より
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事に引き続きお迎えシスターで実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリーをご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは ”高校生で経験した1年間のアメリカ留学で得られたこと”です!
現在上智大学の国際教養学部に通っており、高校生の時に1年間のアメリカのネブラスカへ留学を経験 をされたSelanで働くErina先生にお話を伺いました!
高校で1年間アメリカへ留学しようと思ったきっかけを教えてください!
大きく分けて3つの理由があります。
①人と違うことをしたい
一般的に大学ではよく1年間の交換留学へ行くという話は聞いたことがありましたが、高校生の時に留学したという人はあまりいないように思いました。
大学時に留学へ行くより、高校で行くほうが他の人との差別化ができると思ったのが1つ目の理由です。
②自分の力を試したい
小さい頃から英語塾に通っていたり、英語学習に費やした時間がある程度あったため、ネイティブにどれだけ自分の英語が通用するのか試してみたいと思ったのが2つ目の理由です。
③自分のやりたいことを探したい
私は、小学校から一貫校に通っていたため、高校生まで同じメンバーに囲まれて生活していました。
小学校から同じ環境ではインスパイアされない!と思い、留学を決意しました。
またアメリカという国に留学したいと思ったのも、いわゆる多民族国家と言われるアメリカは実際どれだけ国際的なのかという実態を知りたいと思ったことが大きな理由です!
1年間の留学で得られたことは?
私が留学した先は、ネブラスカにある人口が1000人程のとても小さい田舎町でした。
ローカルな繋がりがとても強い田舎町で、白人労働者が多く住んでいたので日本人がとても珍しがられました。
町にいるアジア人は、私と中国系アメリカ人の先生のみでしたね。
そんな環境で自分でも気づかないうちにアジア人差別を受け、悩んだときもありました。
しかしこの経験から相手の価値観も尊重しながら、日本人としての価値観を守り、どう振舞うべきかを学びました 。
また、何事にも貪欲に取り組む姿勢 もこの留学で学べたと思っています。
私は元々シャイで最初の3か月間は話しかけてもらうのを待っているだけで学校では自分から話しかけたりすることができませんでした。
でもそれではダメだったんですよね。3か月間友達が結局できずじまいでした。
その後、英語にも自信がついてきて授業で発言をしたり、積極的にコミュニケーションを取るようになり、友達ができました。
何でも受け身ではダメ、積極性を持って行動することの重要性 を体感しました。
1年間の留学で英語力は向上しましたか?
アメリカ滞在期間は、文法を勉強したり単語を覚えるなどのいわゆる”英語の勉強”をしていませんでした。
なので、どちらかというと1年間で英語を積極的に話せる自分が好きになって日本へ帰ってきた という答えが妥当かもしれません。
高校2年生での留学、大学受験に支障はなかったのでしょうか?
結論から言うと特に問題ありませんでした !
私が帰国した時期は高校3年生の夏前頃だったので、周りはみんな受験モードでしたね。
私自身、高校1年生の時からどんな大学に行きたいかなど考え始めていた のもあり、日本へ帰国する3か月前くらいからオンラインで日本の受験塾の先生と進路について面談したりしていました。
また、アメリカにいる間に興味が出たこと、勉強したいことが学べる大学をリサーチしたりしていました 。
なので帰国後すぐ塾に行き始め、その後は目標に向かって努力あるのみ、でした!
お迎えシスターではどんな想いで英語を教えていますか?
小さい頃に通っていた英語塾の日本人の先生が、私の幼い頃からのロールモデルでした。
英語がペラペラで本当にかっこいいと思っていました。
いつか自分も先生のようになりたい と思ったのと同時に今度は自分が次世代の子どもたちのロールモデルになって恩返しがしたい と思いました。
そんな想いでお迎えシスターの先生をやらせてもらっています。
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さて、今回の「高校生で経験した1年間のアメリカ留学で得られたこと」、いかがだったでしょうか。
次回も引き続きお迎えシスターで働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
お楽しみに☺Selan公式Note記事より
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事に引き続きお迎えシスターで実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリーをご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは ”日本でも国際的な環境に身を置くことで英語習得はできる!” です!
現在明治大学の総合数理学部に通っており、留学経験などなく、英語を日本で習得した Selanで働くAsuka先生にお話を伺いました!
日本にいながらなぜ英語を学ぼうと思ったのでしょうか
まずは小さな頃から英語に触れていた 為だと思います。
幼少期は両親が海外アニメ を見せてくれたり、日本にある米軍基地の方でネイティブの先生の英語レッスン を受けさせてくれました。
トトロも英語で観ていましたね!
家には多くの英語の絵本 などもあったのはよく覚えています。
その為か、英語の発音が日本語訛りのない、アメリカンイングリッシュになりました。
そして、中学生の頃、海外のアーティストや洋楽にとっても興味を持ったのも大きなきっかけ です。
英語の歌詞をどうしても理解したい!という思いから英語習得への意欲が湧きました。
実践していた英語の勉強法を教えてください!
英語の基本はやはり受験勉強で培った ものが大きいです。
シャドーウィングや長文読解 といった基本的な勉強方法をかなり頑張ったと思います。
ただ、コミュニケーションやスピーキングと言った面では実際にSNS上で外国人の友人を作り、毎日のように英語でコミュニケーションを取って英語力を上げました 。
そこで知り合った友人は今でも本当に良い関係を持っています。
そして私の場合、洋楽という自分が興味を持てるものを極めた結果、英語習得に繋がりました 。
中学高校生時代は、海外Youtuberの動画を見たり、英語で音楽を聴いたり毎日することで膨大な英語量をインプットしました 。
↓香港のご友人とAsuka先生↓
また、現在国際寮に住んでいるため英語でコミュニケーションを取る機会が日常にあります。
私は、日本にいながら自分の選択によって国際的な環境に身を置くことは可能である と考えています。
その為、留学に特別な意味を見出せず、これからも日本で生活していきたいと思っています。
↓国際寮のご友人とAsuka先生↓
お迎えシスターではどんな思いで英語を教えていらっしゃいますか?
小さい頃から英語に触れることはとっても大切です。
しかし、幼少期に英語を学ぶという機会は幼い子どもが自分の意思で選択し得られるものではありません 。
私自身、両親に英語を触れる機会を与えてもらったことで今の価値観を形成することができたと思いますし、本当に人生の大切な一部となりました。
そんな私の貴重だと思えた体験をお迎えシスターの先生として英語を教えることで少しでも共有できたら いいなと思っています。
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さて、今回の「日本でも国際的な環境に身を置くことで英語習得はできる」、いかがだったでしょうか。
次回も引き続きお迎えシスターで働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
お楽しみに☺Selan公式Note記事より
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事に引き続きお迎えシスターで実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリー をご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは ” オーストラリアの大学受験と授業の中身とは?” についてです!
前回同様、オーストラリアにある2つの異なる高校に通い、卒業後オーストラリアの大学へ進学した、Selanで働くMadokaにお話を伺いました!
まだ ”日本の中学校からオーストラリアの現地高校へ進学した道のり” の記事をお読みになっていない方は是非こちらから ★
日本に帰国せず、オーストラリアの大学へ進学を決めた理由を教えてください!
やはり3年間のオーストラリアでの高校生活を振り返ってまだ物足りない、もっと英語力を高めたい と思ったことが大きな理由です。
また、友達もオーストラリアにおり、現地の生活もとても楽しかったので現地の大学進学を決めました。
オーストラリアに滞在していた知り合いの日本人は日本に戻り、皆日本の大学へ進学していたので私のようなケースは珍しいかもしれません!
オーストラリアの大学受験はどんなものなのでしょうか?
ここは本当に日本と異なる点ですが、基本的にオーストラリアは大学進学のための入学試験はありません。
大学受験に必要なものは簡単に分けて2つ。
①高校3年生の最終試験の成績
②高校卒業時に全員が受ける High School Certificate の成績 (いわゆるセンター試験、アメリカのSATのようなもの)
オーストラリアでは、Year 11(高校2年生)とYear 12(高校3年生)は全ての科目が選択式になっています。
科目は学校のカウンセラーと相談しながら自身の得意科目や将来の方向性に合わせて選択し、その選択科目が高校3年生の最終試験の科目となります。
そのため、科目の難易度や進学したい大学の学部のレベルとのバランスを考えることが非常に重要になります。
母国語でない英語で学びながら高校の成績を維持するのは大変ではなかったですか?
正直、とっても大変でした !笑
課題で出されたEssayなどは平均点に届かず。。
やはり英語力で現地生徒より劣る部分があるので、どうしても試験時間が足りない場合は先生に直談判をして特別に試験時間を延ばしてもらったりしました 。
また、オーストラリアの学校では日本語の授業があるのですが、あえて日本語の授業を取り、先生のアシスタントなどをして良い成績を貰っていました(笑)
本当に勉強面では先生と友人に助けられ、結果的にQueensland University of Technologyに合格し International Business and Marketingを専攻 することになりました。
大学では実践型授業が多かったとのことでしたが、どんな授業だったのか詳しく教えてください!
実は途中、James Cook University(JCU)へ編入したのですが引き続きそこでもInternational Business and Marketingを専攻しました。
大学の先生は社会人経験者の方が多く、例えば会社経営をしながら教鞭を執っている先生などがほとんどでした。
その為、学生では知り得ない知識を要する課題や実践型授業も多かったです。
①イベントマネージメント
クラス全体がグループに分かれて大学のイベントのマネージメントを1から行う実践型の授業 でした。
お題は「How do we increase number of international students coming to our university」でした。
資金調達、パネル発注からリスクマネジメントまで全て生徒が行う ため2か月くらい準備を要するマネージメントの授業で、とっても面白かったので印象に残っています。
②ディベート
物流に関する授業で、ロールプレイ を行いました。
私は秘書役を担ったのですが、そこで英語でのアジェンダの取り方、メモの取り方などを学び、非常に実用的な授業でした。
他の授業も基本的にケーススタディなどを用いた授業が多く、社会のことを学生に理解してもらうことに力を入れているように感じました。
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さて、今回の「現地高校からオーストラリアの大学進学まで」 、いかがだったでしょうか。
次回も引き続きお迎えシスターで働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
お楽しみに☺Selan公式Note記事より
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事に引き続きお迎えシスターで実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリー をご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは”日本の中学校からオーストラリアの高校へ進学した道のり” についてです!
オーストラリアにある2つの異なる高校に通い、卒業後オーストラリアの大学へ進学した、Selanで働くMadokaにお話を伺いました!
Madokaのバックグラウンドを教えてください!
15歳の時、単身オーストラリアへ飛び立ち、現地の高校へ入学 しました!
それまでは海外経験など全くなく、それが初めての長期留学でした。
オーストラリアでは2つの高校を経験し、卒業後オーストラリアの大学へ進学 しました!
合計すると約10年間 オーストラリアに住んでいましたね!
なぜオーストラリアへ?
オーストラリアを選んだのは、やはり時差と安全性と距離 が大きな理由です。
日本との時差が少なく、比較的日本からも遠くない平和なオーストラリアは留学先としてとても魅力的でした。
あとは中学1、2年時にオーストラリアへ短期留学へ行きとても気に入ったことも理由の1つですね!
留学を決めた理由としては、小学校の頃から言語を学ぶことが大好きだった からです。
本当にそれだけの理由で留学することにしました!笑
日本の学校からオーストラリアの高校に進学するまでの道のりを教えてください!
本当は1年間だけの留学のつもりでオーストラリアへ行ったんです。
それでも高校時での留学はとっても不安で、日本の学校の先輩で留学経験がある方にお話を伺ったりして心の準備をしましたね。
具体的な留学準備としては、留学斡旋をしてくれるエージェントに留学する1年以上前には話を聞きに行ったりなど、事前準備 を進めていました。
結果的にはエージェントに手配をしてもらって、ブリスベンにある1つ目の高校へ進学することが決まりました。
しかし英語のレベル的にすぐに高校の授業に参加できるはずもなく、オーストラリアへ到着後、3か月は語学学校へ通いました。
そこでかなりリスニングの力は伸びたと思います!
その後やっと高校の授業に参加し始めました。
現地校で英語面で苦労はしましたか?
とても苦労しました。
正直高校1年生の時は授業の半分も理解できていなかったと思います。
英語を勉強 するというスタイルから、英語で勉強 するというスタイルに変わったため、化学などの科目は本当に理解するのが難しかったです。
現地の先生、生徒に助けられながら高校3年生時には大体授業を理解できるようになっていたと思います。
なぜ転校を決めたのでしょうか?
最初の高校は公立高校で海外からの生徒を多く受け入れている学校でした。
しかし問題として現地のオーストラリア人の生徒と海外からの生徒でぱっくり分かれてしまっていて、海外からの生徒としてせっかくオーストラリアにいるのにも関わらず、ローカルに馴染めなかった のです。
様々な国籍の友人ができたのは素晴らしい経験でした。
しかし、結果的に英語の伸びも満足のいくものではなかったので、別の学校に転校しよう と決めました!
本来であれば転校は不可能とされていたのですが、1度決めたら絶対に諦められない性格の私は校長先生に直談判をして説得し、転校することができました。
オーストラリアの高校ってどんな学校生活なんでしょうか?
2校目の高校をメインにお話しますね!
授業のスタイルで言うと、高校2.3年生はすべての科目が選択式の授業 でした。
転校して最初の日に学校専属のキャリアカウンセラーと1対1の面接 を行い、将来はどんなキャリアを目指したいかなど根掘り葉掘り聞かれましたね。
その話をベースにカウンセラーと一緒に選択授業科目を決め 、私の場合はインターナショナルビジネスやマーケティング などをやっていきたいと伝えていたのでそのエリアに関連する授業を選択していました。
なので、運動があまり得意ではない私は日本の高校では必須科目の体育は一切選択しませんでした(笑)
また転校先の高校はオーストラリア人が多く、壁も感じることなく現地の子達ととても仲良くできました。
地域柄アジア系オーストラリア人も多かったことからアジア人への偏見も全くなく非常に日本人として過ごしやすかった ですね。
オーストラリアならではの経験があれば教えてください!
1つ目はホストファミリーとの生活 です。
オーストラリアはホストファミリー文化が強く、私のような海外からの高校への留学生はホストファミリーと生活することが決められています。
合計3家庭程経験したのですが、週末にBBQをしたり、庭でプール遊びをしたり、コミュニケーションもずっと英語だったので非常に有意義な経験だったと思います。
2つ目は高校2.3年生時に海外留学生としてオーストラリアの教育省の主催するイベントでゲストスピーカーなどをした経験です。
海外生徒へオーストラリア留学を斡旋するためのPR活動に自分の経験を通して関われたのはとてもいい経験になりました。
⇩Home stay brother のCooper君と⇩
さて、今回の”日本の中学校からオーストラリアの高校へ進学した道のり” いかがだったでしょうか!
次回は今回書ききれなかった、”オーストラリアの現地校から大学進学 - オーストラリアでの大学生活” についてご紹介したいと思います!
お楽しみに☺Selan公式Note記事より
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事に引き続きお迎えシスター で実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリーをご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは”「幼少期の海外経験」と「帰国子女として日本に住む」ということ” です!
幼少期の8年間を海外で過ごした、お迎えシスターのMisakiにその経験をについてお話を伺いました!
Misakiのバックグラウンドを教えてください!
シンガポール で生まれ、2歳までシンガポールにいました!
幼かったのでシンガポールでの記憶はありません(笑)
その後、4歳から10歳までの6年間をイギリスのイングランド で父の仕事の関係で住んでいました。
イギリスではインターナショナルスクールや日本人学校ではなく、現地の小学校 に通っていました。
10歳で日本に本帰国し、2年間は公立の小学校 に通いました。
中高は帰国子女クラスのある私立の女子校へ進学 し、大学も日本の大学 を卒業しています!
幼少期にイギリスに住んでいたからこそ、得られたことはありますか?
【アイデンティティの確立】
現地校に通っていたので、ローカルのイギリス人に囲まれた小学校生活 を送っていました。
田舎町だったこともあり、周りにアジア人はおらず、ダイバーシティはあまりなかったです。
その為、実は小さい頃、”いつかわたしの目はみんなと同じように青くなって、髪の毛も明るい色になる” と思っていました(笑)
なので”自分が何人”というアイデンティティが形成されることなく10歳で日本に帰国したときは少し困惑しましたね。
というのも、当時帰国子女として公立の小学校に編入したとき、周りの皆から英語が話せることをとても珍しがられたんです。
日本人なのに、日本人の学校の友達から珍しがられたりするのはなぜ?私は日本人なの?
と自分に問うことも多く、そのような経験から、特に日本へ帰国後は自身の日本人としてのアイデンティティを考える ことが多くなったと思います。
【柔軟な物事の捉え方】
”自分が思っている当たり前は、当たり前じゃない”
という考え方ができるようになったのは幼少期にイギリス生活の経験があったからだと思います。
例えば、イギリスの小学校で世界地図を広げた時はイギリスが地図の真ん中に位置していて、幼いながらイギリスが世界の中心なんだ と思っていました。
しかし日本に帰ってきて世界地図を広げた時、私の見慣れたイギリスはもちろん中心になく、日本が中心に位置していました。
とってもびっくりしましたが、固定の国や地域が世界の中心にあるなんてことはないんだと思った のを今でも覚えています。
そのような小さな気付きから固定概念のない柔軟な考え方が何事に対してもできるようになった と思います。
イギリスから帰国後、大変だったこと苦労したことはありましたか?
イギリス英語が染みついた私にとって、アメリカ英語が主流の日本に適応するのはかなり大変 でした。
イギリス英語とアメリカ英語は発音はもちろん、単語やスペリングなども異なる部分があります。
中学校は帰国子女クラスがある学校に進学しましたが、私以外の帰国子女生は殆どアメリカからの帰国子女だったため、イギリス英語を話す私はマイノリティーでした。
また、英検などの試験も基本はアメリカ英語 ですし、学校の先生も全員アメリカ人だったこともあり、中高時代は自分のイギリス英語を封印し周りの話すアメリカ英語に馴染もうとしましたね。
当初、私にとってアメリカ英語はとても聞きづらく、苦労しました。
帰国後の英語キープ方法を教えてください!
小学校の2年間は英語を全く話す機会がなかったので、その期間でかなり英語を忘れてしまいました。
しかし、中学校入学後、帰国子女クラスのあった学校に進学したため英語を話す機会が増えました。
帰国子女の子たちの間でも英語レベルの差はあり、私の場合は10歳の小学生が話す英語レベルで止まってしまっていたので、周りのハイレベルな英語を聞き、自分ももっと頑張ろう!と思えた ことは大きかったと思います。
自分の英語レベルを上げるために当時はとにかく大好きな映画とドラマを英語で見ていました! 音楽も英語で 聴いていましたね!
これが1番効果的だったと思います!
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さて、今回の”「幼少期の海外経験」と「帰国子女として日本に住む」ということ ”はいかがだったでしょうか。
幼少期時代の海外経験だからこそ得られるものがあり、その後も努力があって英語力をキープされていたことが伺えました。
次回も引き続きお迎えシスターで働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
お楽しみに☺Selan公式Note記事より
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事 に引き続きお迎えシスターで実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリーをご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは”海外ボーディングスクール” です!
海外ボーディングスクールとは、教師も同じ学校で寝食を共にする、海外の全寮制の学校です。人としての成長を多角的に支えてくれ、語学力と同時に、違いを理解し受け容れる寛容性、忍耐力、交渉力、問題解決力、高いコミュニケーション力などの能力までを習得していきます。
この海外ボーディングスクール に通っていた、Selanの教育コンテンツマネージャーのRisakoにお話を伺いました!
Risakoのバックグラウンドを教えてください!
11歳(小6)の秋から18歳(高3)まで、ハワイ島にあるHawaii Preparatory Academyというボーディングスクールに7年間通っていました!
その前は日本の学校に通っていたので、ハワイに行く前は特に英語が話せませんでした。
そしてハワイの学校を卒業した後は、日本の大学へと進学しました。現在はSelanでコンテンツマネージャーとして働いています。
11歳の時に単身ハワイに行くことになった経緯は?
とにかく両親がハワイが大好きで、毎年のように旅行でハワイに家族旅行に行っていました!
また、両親が昔アメリカの東海岸に住んでいたため、”これからはグローバルなマインドセットを持ってほしい” という想いがあったようです。
当時は日本で中学受験の為に塾に通っていたのですが、勉強が嫌いになってしまい。。
そんな経緯もあり、両親からハワイに行ってみたら? と勧められたことがきっかけでした。
まずは11歳の時にサマースクールに通ってみたのですが、そのサマースクールがとっても楽しかったので、そのまま9月から同じ学校に入学することにしました。
英語力、また家族のもとを11歳で離れるという不安はありませんでしたか?
ハワイに行く前までは塾に通っていたのですが、英語は全く話せなかったので不安でした(笑)
学校自体はインターナショナルスクールで、私のような第2言語を英語とする子どもたちが沢山いました。そのため英語学習カリキュラムが非常にしっかりしており、段々と英語を習得することができました。
そして、ルームメイトの子が韓国人だったのですが、その子が非常に英語が上手だったので授業以外でのコミュニケーションでも英語を上達させることができた ことが良かったと思います。
家族のもとを11歳で離れたことに関しては、最初の1カ月こそとってもホームシックになり辛かったものの、そのあとは学校が楽しくてたまりませんでした!
むしろ年末年始に日本に帰るのを嫌がっていたほどです(笑)
あと、いとこが同じ学校に通っていたので、寂しくなった時はすぐに会えたことが救われましたね!
18歳までハワイで教育を受けられて、日本語力はどのようにキープされましたか?
私、本を読むのが大好きだったんです。
なので、ハワイにいるときも日本語の本をずっと読んでいました。 漢字などは小説から学んでいました!
また、両親が毎年1回はハワイを訪れてくれるのと、年末年始は日本へ帰国していたので、家族とのコミュニケーョンは常に日本語 でした!
なぜ海外でなく日本の大学へ進学することを決断したのでしょうか?
私は、ハワイで育ちながらも日本人のアイデンティティが強かった ので、将来は日本を起点にして何かしたい! と考えていました。
日本の就職システムは特殊と聞いていたので、であれば日本の大学に進学した方が自分の夢に近づくのではないか?と思ったからです。
先ほどアイデンティティの話が出ましたが、日本人としてご自身のアイデンティティを意識する機会があったのでしょうか?
例えば、太平洋戦争について歴史の授業で学んだ際、
”日本人として太平洋戦争をどう思うか”
と聞かれたことがありました。
とても難しい質問で、その時に日本人として日本の事をもっと勉強しなきゃ と強く思いました。
また、日本人として何か披露できるものがあったらいいな という想いもあり茶道 を始め、今でも続けています。
現在、海外ボーディングスクールに送り出すことを考えている方へメッセージはありますか?
私の周りにいる、海外ボーディングスクールに通っていた友人は、みんな通って良かったと思っているようです。
私も自分の興味があることや、やりたいことが見つけやすい環境だったのでとても良かったと思っています。
英語が習得できたのはもちろんですが、自発的に考え、決断する力も 養えた ことが素晴らしい経験だったと思います。
可愛い子には旅をさせよ、ではないですが、子どもに楽しい経験や辛い経験もさせてあげたいのであれば、海外ボーディングスクールに早く送り出してあげることも良いかもしれません。
さて、今回の”自発的に考え決断力を養う「海外ボーディングスクール」で経験したこととは?” いかがだったでしょうか!
次回も引き続きお迎えシスター で働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
お楽しみに☺Selan公式Note記事より
今回から、先日行った日英バイリンガル100人に聞いた!バイリンガル大調査 で得られた回答を元に、お迎えシスターで実際に働くメンバー/先生にそれぞれのバイリンガルストーリーをトピックごとに共有していきたいと思います!
さて、今回のトピックは”海外に住む経験・留学は英語習得に必須?” です!
Selanが独自に行ったバイリンガル調査によると、
過半数以上(約54%)が海外に住む経験はバイリンガルなるために”必須ではない”と回答。
また、
76%が日本育ちで、日本の教育を受けた場合でも、バイリンガルになるのは可能であると回答!
第1回目の今回は、バイリンガルでありながら日本で生まれ、育った、Selan公式Note運営を担当しています私、Hanaが自身の経験と考えを共有させていただきたいと思います!
私のバックグラウンド
私は生まれ育ち共に日本で、日本の学校に通っておりました。
特に両親もバイリンガルではありません!
しかし、幼い頃からあった海外への憧れや英語を話せるようになりたいという思いから、
日本にいながら英語で授業を行う大学に行きたい! 留学も行ってみたい!
ということで、その大学への受験にはTOEFLやSAT(いわゆるアメリカのセンター試験)のスコアが必要だったこともあり、受験勉強として高校生時に英語学習を本格化しました。
大学在学中に交換留学として1年イギリスに滞在、その後半年語学勉強の為にドイツにも滞在し、今年の9月からはスイスの大学院に進学予定です!
なぜ幼い頃から海外や英語への興味があったのか?
①海外旅行/短期留学経験
海外旅行が大好きな両親だったので、旅行に連れていってもらう度、”英語という言語を話さないと日本人以外の人たちとはコミュニケーションが取れないんだ” という本質は幼少期から理解していたように思います。
また、13歳の夏休み、両親からいきなり”1カ月間1人でアメリカに行ってきなさい”と言われカリフォルニアに短期留学 に行きました。
世界中から異なるバックグラウンドを持つ同年代の子どもたちが集まり一緒に英語を勉強したり様々なアクティビティーを経験したことで”世界の中にいる日本人の私 ”という価値観がそこで初めて生まれました。
特に、外国人のお友達を作るという経験をしたのはこの時が初めてで、そのために”英語を話せるようになりたい” と強く思ったことは今でも覚えています。
②幼少期に人前で英語を話した経験
当時まだ小学校での英語学習が必須ではなかった時代に私の小学校では英語の授業がありました。
思い返せば、日頃から英語に触れる機会が小学生の時からあったのは英語への抵抗感やハードルをかなり下げてくれた と感じています。
そんな中、学校行事の1つにページェントという発表会のようなものがありそこで私は始まりのスピーチを英語でやる ことになりました。
この行事は1年生から6年生まで参加するため親御さん等含め1000人弱もの方が観に来る大きなイベントだったので、とっても緊張したのを覚えています。
特に帰国子女でもないのでとにかく暗証・練習を繰り返し、自分で言っている英語の文章の意味も分からないままスピーチを行ったのですが、終わった後に
”発音がとっても上手だね!””帰国子女なの?””インターに行っていたの?”
そんな言葉を沢山かけられ、”あ、私って英語が得意なんだ!” と単純に思えたことが大きな自信となり、英語への興味が増したきっかけになりました。
なぜ留学は英語習得に必要ないと思う?
端的に言ってしまうと、私が留学をせずに英語習得をした実体験があるからです!(笑)
もちろん、かなりの努力は必要ですが、絶対に不可能ではない と思っています。
外国人の友達など周りに特にいなかったので、受験勉強中は”日本にいながら自主留学状態” を目指し、音楽を聴くなら洋楽のみ、本を読むなら洋書のみ、映画も英語で、独り言を言うなら英語!と決めて生活していました(笑)
しかし、私がここまで高校生時に努力できたのは、幼い頃から英語を話せたらどんなに世界が広がるか、多種多様な人達と関わることができるようになるか理解し、英語を話せるようになることが自分の人生を豊かにしてくれると確信していた からです。
そしてその価値観は確実に、海外旅行や短期留学に行かせてもらいながら、英語学習の機会を幼い頃から親に与えてもらった賜物 です。
もし、ただただ”これからの時代は英語だから!”などと両親に無理矢理、学業として英語を習わされたりしていたらきっと英語嫌いになっていたと思います。(笑)
最後に
もちろん留学に行くことは、素晴らしい経験だと思いますし、言語習得の上では効果的であることは間違いないので、留学は絶対おススメします!
しかし、実際に留学を経験して思うことはある程度日本を出る前に英語ができなければ現地で苦しむ。。 ということです。
イギリスの大学にいた際、英語の勉強は一切せずに済んだので、あー高校生の時努力しておいて良かった!と思いました。
そして何より、バイリンガル大調査 での結果で、
約93%が幼少期から英語を学ぶことは将来バイリンガルになるために重要である
という結果が得られましたが、本当にその通りだと心から思っています!!
そんな、幼い時経験した世界の広がりや価値観を今の日本の子どもたちにも経験して欲しい! という思いからお迎えシスター で働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
是非お楽しみに!★Selan公式Note記事より
バイリンガル教師がお迎え&自宅英語レッスンをする『お迎えシスター』 を運営する株式会社Selanでは、今回実際に本サービスで活躍中のバイリンガルの先生総勢114人にバイリンガル大調査 を実施いたしました!
今回はついにラスト、第4弾として
「幼少期に実践していた意外な英語学習法って❓」
というトピックでの調査結果をご紹介したいと思います!
では早速、見てみましょう!
幼少期の英語への触れ方
Q. 幼少期、どんな風に英語に触れていましたか?
【考察】
幼少期の英語へのアプローチで
1番多かったのが「英語でテレビ、映画、アニメを観る」
2番目は、学校が英語だった
3番目は英語で歌を歌う
4番目が英語で本や漫画を読む
となっています。
「ご自身が行っていた英語キープ術・学習法はなんですか?」
という質問に対しても、英語で本を読む、英語で映画やテレビ観る、英語で音楽を聴くという回答が多く得られました。
家庭教師や英語塾に通っていた、というのももちろんですが、それ以上に英語でテレビを観る、歌を歌う、本を読む 、学校が英語だった、など日常生活の一部に「英語が存在していたこと」が効果的であった ことが伺えます。
英語の習い事
子どもには英語を習わせたい。。。でも、子どもが嫌がる。。。という方もいらっしゃるのではないでしょうか。
実際、お迎えシスターのバイリンガル先生は、英語の習い事をどう捉えていたのでしょうか。
Q. 子どもの頃、両親に言われて無理矢理続けていた習い事はありましたか?
→ 過半数の約52%の お迎えシスターの先生が幼少期に両親に言われて無理矢理続けていた習い事があったと回答!
→ その無理矢理続けていた習い事のうち、なんと、24%はバイリンガル教育の関連の習い事であった とのこと!
【考察】
結果的にバイリンガルとなったお迎えシスターの先生達ですが、約24%は語学関連の習い事を好んで続けていた訳ではない ようです。
ある先生は、ご両親のバイリンガル教育で1番感謝している事として、”アメリカに住んでいた時、平日には現地校、土曜日には日本人学校に通っており、当時は週1しか休みがないのは嫌だったけれど、今となってはバイリンガル教育にとても役立ったと感じる” と回答していました。
第3弾の結果(両親の教育方針とバイリンガルの相関関係は❓) で、約87%の先生が「両親の教育方針が自身の英語力に影響した」と回答していることを見ても、幼少期に頑張って続けた習い事は、将来、役に立つ時が必ず来る、ということなのかもしれません。
さて、全4回にわたる”日英バイリンガル100人に聞いた!バイリンガル大調査<第4弾>by お迎えシスター”、いかがだったでしょうか。
次回からは今回の調査結果を踏まえ、お迎えシスターの先生インタビュー記事を公開していきます!
少しでもこの調査が今後の皆様のバイリンガル教育の役に立ちますように。
ではまた次回★
お迎えシスター事務局 | 株式会社Viling
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