2020/06/11|先生Interview
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事に引き続きお迎えシスターで実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリーをご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは”海外ボーディングスクール”です!
海外ボーディングスクールとは、教師も同じ学校で寝食を共にする、海外の全寮制の学校です。人としての成長を多角的に支えてくれ、語学力と同時に、違いを理解し受け容れる寛容性、忍耐力、交渉力、問題解決力、高いコミュニケーション力などの能力までを習得していきます。
この海外ボーディングスクールに通っていた、Selanの教育コンテンツマネージャーのRisakoにお話を伺いました!
11歳(小6)の秋から18歳(高3)まで、ハワイ島にあるHawaii Preparatory Academyというボーディングスクールに7年間通っていました!
その前は日本の学校に通っていたので、ハワイに行く前は特に英語が話せませんでした。
そしてハワイの学校を卒業した後は、日本の大学へと進学しました。現在はSelanでコンテンツマネージャーとして働いています。
とにかく両親がハワイが大好きで、毎年のように旅行でハワイに家族旅行に行っていました!
また、両親が昔アメリカの東海岸に住んでいたため、”これからはグローバルなマインドセットを持ってほしい”という想いがあったようです。
当時は日本で中学受験の為に塾に通っていたのですが、勉強が嫌いになってしまい。。
そんな経緯もあり、両親からハワイに行ってみたら?と勧められたことがきっかけでした。
まずは11歳の時にサマースクールに通ってみたのですが、そのサマースクールがとっても楽しかったので、そのまま9月から同じ学校に入学することにしました。
ハワイに行く前までは塾に通っていたのですが、英語は全く話せなかったので不安でした(笑)
学校自体はインターナショナルスクールで、私のような第2言語を英語とする子どもたちが沢山いました。そのため英語学習カリキュラムが非常にしっかりしており、段々と英語を習得することができました。
そして、ルームメイトの子が韓国人だったのですが、その子が非常に英語が上手だったので授業以外でのコミュニケーションでも英語を上達させることができたことが良かったと思います。
家族のもとを11歳で離れたことに関しては、最初の1カ月こそとってもホームシックになり辛かったものの、そのあとは学校が楽しくてたまりませんでした!
むしろ年末年始に日本に帰るのを嫌がっていたほどです(笑)
あと、いとこが同じ学校に通っていたので、寂しくなった時はすぐに会えたことが救われましたね!
私、本を読むのが大好きだったんです。
なので、ハワイにいるときも日本語の本をずっと読んでいました。漢字などは小説から学んでいました!
また、両親が毎年1回はハワイを訪れてくれるのと、年末年始は日本へ帰国していたので、家族とのコミュニケーョンは常に日本語でした!
私は、ハワイで育ちながらも日本人のアイデンティティが強かったので、将来は日本を起点にして何かしたい!と考えていました。
日本の就職システムは特殊と聞いていたので、であれば日本の大学に進学した方が自分の夢に近づくのではないか?と思ったからです。
例えば、太平洋戦争について歴史の授業で学んだ際、
”日本人として太平洋戦争をどう思うか”
と聞かれたことがありました。
とても難しい質問で、その時に日本人として日本の事をもっと勉強しなきゃと強く思いました。
また、日本人として何か披露できるものがあったらいいなという想いもあり茶道を始め、今でも続けています。
私の周りにいる、海外ボーディングスクールに通っていた友人は、みんな通って良かったと思っているようです。
私も自分の興味があることや、やりたいことが見つけやすい環境だったのでとても良かったと思っています。
英語が習得できたのはもちろんですが、自発的に考え、決断する力も養えたことが素晴らしい経験だったと思います。
可愛い子には旅をさせよ、ではないですが、子どもに楽しい経験や辛い経験もさせてあげたいのであれば、海外ボーディングスクールに早く送り出してあげることも良いかもしれません。
さて、今回の”自発的に考え決断力を養う「海外ボーディングスクール」で経験したこととは?”いかがだったでしょうか!
次回も引き続きお迎えシスターで働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
お楽しみに☺