2020/06/25|先生Interview
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事に引き続きお迎えシスターで実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリーをご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは”「幼少期の海外経験」と「帰国子女として日本に住む」ということ”です!
幼少期の8年間を海外で過ごした、お迎えシスターのMisakiにその経験をについてお話を伺いました!
シンガポールで生まれ、2歳までシンガポールにいました!
幼かったのでシンガポールでの記憶はありません(笑)
その後、4歳から10歳までの6年間をイギリスのイングランドで父の仕事の関係で住んでいました。
イギリスではインターナショナルスクールや日本人学校ではなく、現地の小学校に通っていました。
10歳で日本に本帰国し、2年間は公立の小学校に通いました。
中高は帰国子女クラスのある私立の女子校へ進学し、大学も日本の大学を卒業しています!
【アイデンティティの確立】
現地校に通っていたので、ローカルのイギリス人に囲まれた小学校生活を送っていました。
田舎町だったこともあり、周りにアジア人はおらず、ダイバーシティはあまりなかったです。
その為、実は小さい頃、”いつかわたしの目はみんなと同じように青くなって、髪の毛も明るい色になる”と思っていました(笑)
なので”自分が何人”というアイデンティティが形成されることなく10歳で日本に帰国したときは少し困惑しましたね。
というのも、当時帰国子女として公立の小学校に編入したとき、周りの皆から英語が話せることをとても珍しがられたんです。
日本人なのに、日本人の学校の友達から珍しがられたりするのはなぜ?私は日本人なの?
と自分に問うことも多く、そのような経験から、特に日本へ帰国後は自身の日本人としてのアイデンティティを考えることが多くなったと思います。
【柔軟な物事の捉え方】
”自分が思っている当たり前は、当たり前じゃない”
という考え方ができるようになったのは幼少期にイギリス生活の経験があったからだと思います。
例えば、イギリスの小学校で世界地図を広げた時はイギリスが地図の真ん中に位置していて、幼いながらイギリスが世界の中心なんだと思っていました。
しかし日本に帰ってきて世界地図を広げた時、私の見慣れたイギリスはもちろん中心になく、日本が中心に位置していました。
とってもびっくりしましたが、固定の国や地域が世界の中心にあるなんてことはないんだと思ったのを今でも覚えています。
そのような小さな気付きから固定概念のない柔軟な考え方が何事に対してもできるようになったと思います。
イギリス英語が染みついた私にとって、アメリカ英語が主流の日本に適応するのはかなり大変でした。
イギリス英語とアメリカ英語は発音はもちろん、単語やスペリングなども異なる部分があります。
中学校は帰国子女クラスがある学校に進学しましたが、私以外の帰国子女生は殆どアメリカからの帰国子女だったため、イギリス英語を話す私はマイノリティーでした。
また、英検などの試験も基本はアメリカ英語ですし、学校の先生も全員アメリカ人だったこともあり、中高時代は自分のイギリス英語を封印し周りの話すアメリカ英語に馴染もうとしましたね。
当初、私にとってアメリカ英語はとても聞きづらく、苦労しました。
小学校の2年間は英語を全く話す機会がなかったので、その期間でかなり英語を忘れてしまいました。
しかし、中学校入学後、帰国子女クラスのあった学校に進学したため英語を話す機会が増えました。
帰国子女の子たちの間でも英語レベルの差はあり、私の場合は10歳の小学生が話す英語レベルで止まってしまっていたので、周りのハイレベルな英語を聞き、自分ももっと頑張ろう!と思えたことは大きかったと思います。
自分の英語レベルを上げるために当時はとにかく大好きな映画とドラマを英語で見ていました!音楽も英語で聴いていましたね!
これが1番効果的だったと思います!
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さて、今回の”「幼少期の海外経験」と「帰国子女として日本に住む」ということ”はいかがだったでしょうか。
幼少期時代の海外経験だからこそ得られるものがあり、その後も努力があって英語力をキープされていたことが伺えました。
次回も引き続きお迎えシスターで働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
お楽しみに☺