2020/08/19|先生Interview
みなさん、こんにちは!Selan広報担当のHanaです!
今回も、前回の記事に引き続きお迎えシスターで実際に働くメンバー・先生それぞれのバイリンガルストーリーをご紹介していきたいと思います。
さて、今回のトピックは ”東京のインターナショナルスクールと公立校での経験”です!
現在早稲田大学文化構想学部国際日本文化論プログラム(JCulP)に在籍し、韓国籍を持ちながらも東京で生まれ育ち、幼稚園から高校生まで国内インターナショナルスクールに通われていたSelanで働くJeong先生にお話を伺いました!(写真左がJeong先生)
国籍は韓国ですが、ずっと東京で生まれ育ちました。
なので、日本語、英語以外には韓国語も少し話せます!
その後、幼稚園 から小2までは東京YMCAインターナショナルスクール (TYIS) に通い、小3から高校卒業までChristian Academy in Japan (CAJ) というインターナショナルスクールに通っていました。
しかし日本語をしっかり学びたいという気持ちから、中学生の2年間は東京にある公立中学校に通いました。
高校生まで通っていたCAJは他のインターナショナルスクールと比較すると全校生徒数が400人程で小規模でした。
おかげで生徒同士の距離も非常に近く、大学受験や課題などお互いサポートし合えましたね。
生徒の国籍はアメリカ人をメインに日本人の帰国子女、外国人の親を持つ人、韓国人など様々いました。
特に日本の学校と異なる点として個人的に感じたのは部活動のシステムです。
CAJはアメリカ教育をベースとしているのですが、日本のように3年間OO部に属す、というスタイルではなくスポーツであればシーズンごとに種目が変わりました。
例えば、秋はテニス、冬はバスケ、春はサッカー、など季節によって参加できるスポーツアクティビティの種目が変わるのです。
文科系のアクティビティについては、日本の学校のように吹奏楽部など部活があるわけではなく吹奏楽やジャズの授業があるためその授業を単位として取ることでいわゆる日本で言う部活動のようなものになっていました。
私自身はサックスを長年やっており、ジャズの授業などを取っていましたね!
また、私は東京の公立中学校に2年間通っていた際にサッカー部に所属していたのですが、規律や上下関係がとても厳しく学んだことももちろん多かったのですが、苦労したことは今でもよく記憶しています。
インターナショナルスクールではそのような学年による上下関係などがないので、日本の部活のような厳格さはなかったです。
やはり日本に住んでいるという環境上、学校から1歩出ると全て日本語の世界なので常に日本語を話す機会がありました。
また、両親と話すときも日本語を使っており、幼少期には公文で日本語を勉強したり、1年-6年生までは少年剣道を習っていたり、サックスのレッスンも日本語で受けていました。
当時は習い事などは特に親に”やらされていた”と思っていましたが、今考えると”やらせてもらっていた”と思えます。
そして、特に中学生の2年間を公立中学校で過ごしたのは自分の日本語力向上に非常に効果的だったと思っています。
言語面だけでなく日本の文化・道徳について学ぶことができたので大変なこともありましたが、本当に今では経験できてよかったと思っています。
高校3年時にお世話になった英語の先生のおかげで勉強嫌いだった私が学ぶことに対して積極的になれたという経験があります。
非常に生徒の目線に寄り添ってくれる先生で、いつか自分もそんな先生になりたいと思っていました。
そこで教育系のアルバイトを探していたのですが、お迎えシスターが掲げているコンセプト「子どもたちに、ロールモデルを。」にとても共感し、是非先生をやってみたいと思いました。
私自身のモットーとして、レッスン時に心掛けていることはLearning by teachingです。
これまで先生として子どもと触れ合い、逆に私が本当に多くのことを学ぶ機会を与えてもらっていると感じています。
子どもたちに教えながら自分も子供たちと学んでいく。ということを大事にしています。
将来は大学院に進み、世界の国際教育に学びながらインターナショナルスクールの先生の資格を取りたいと思っています!
【ハワイ島にある小中学校で日本文化を英語で教えるJeong先生】
———————————————————————————-
さて、今回の「両方通った東京の「インターナショナルスクール」と「公立学校」。それぞれで学んだこととは?」、いかがだったでしょうか。
次回も引き続きお迎えシスターで働く先生たちに次回からどんどんインタビューをしていきたいと思っています!
お楽しみに☺